鏡の国のアリス (角川文庫)鏡の国のアリス (角川文庫)
(1959/10)
ルイス・キャロル岡田 忠軒

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 英文で読めば読むほど、どう訳していいか悩むこの本を、昭和34年に翻訳したこの翻訳者に敬意を表します。けど、やっぱり違和感が。この違和感はきっと、日本語でアリスの物語を読み続ける限り一生なくならないと思います。

 しかし、英文で読みきるにはあまりにも私の英語力が足りません。修行不足です。英語を小説を読みきり、なおかつ“楽しめる”っていうのにいったいどれほどの英文読解力がいるんでしょう。けれど、それでも読みたいと思えるほど好きな物語があるっていうのは幸せなことだと思います。
頭がいい人の一日15分勉強法 (リュウ・ブックスアステ新書 41)頭がいい人の一日15分勉強法 (リュウ・ブックスアステ新書 41)
(2008/01)
本郷 陽二

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 こじ付けとも思えるほど“15分”にこだわった一冊。

 15分という隙間時間をいかに有効な勉強時間に変えるか。そして、15分をいかにしてひねり出すか。この二つのテーマを力説している本書ですが、一番の見所はそういったノウハウではなく、何でも間でも15分!という視点で物事を見ている著者の面白さかもしれません。

 ○○なら15分でできる!という“気づき”を与えてくれる勉強法でした。
2008.05.19 書評:量子コンピュータ
 わかった、とはいえない。

量子コンピュータ (ブルーバックス)量子コンピュータ (ブルーバックス)
(2005/02/18)
竹内 繁樹

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 量子力学と、その概念を用いて作られる(はずの)量子コンピュータについて解説した一冊。ネット上の書評を読むと、大部分の人がわかりやすい!と評価しているにもかかわらず、読んでみてさっぱりわからなかった。

 自分の脳みそが原因かもしれないが、そういった評価と自分の違いを考えてみると、そもそも量子というものがとても説明が難しい存在で、ある程度わかっていても人にそれを伝えるのが難しいと思っていた人たちが読むと「なんてわかりやすく書いてあるんだ!」となるのではないかと。そしてわからない人が読むとやっぱりわからない。

 コンピュータについてなど、解説部分も少々物足りないものを感じるので、この一冊だけでなくいくつか読まないと理解は難しそうです。けど、大学でこれからわからないじゃすまなくなりそうなんだけどなぁ……。
2008.04.20 書評:続「超」整理法・時間編
 時間を整理?

続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法 (中公新書)続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法 (中公新書)
(1995/01)
野口 悠紀雄

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 押し出しファイリングを紹介した「超」整理法の著者が、時間の節約術について書いた一冊。


 しかし、この整理法と時間がイコールでつながっているのを見ると違和感がありますね。

 確かに、整理されて無いと余計な時間を浪費することもありますし、時間が無いと整理することもできないという負のスパイラルによく陥りますから、別々に論ずるよりはまとめたほうが有効なのかもしれません。

 しかし何か違和感がある。

 何でだろうと考えてみると、多分この本がぜんぜん“整理されていない”時間管理の本だからだと思います。それぞれの章でのノウハウは確かに有効そうで、私も行っている内容もあります。しかし、それがただ羅列されているだけで、ぜんぜん体系だった知識として頭に入ってこない。前作と比べて、あまりにも構成の錬度が足りないという印象です。

 個々の内容は素晴らしいのに、その点だけが非常に残念でした。
2008.04.16 私の知的生産の技術
 実践し続けた人たちのお話。

私の知的生産の技術 (岩波新書)私の知的生産の技術 (岩波新書)
(1988/11)
梅棹 忠夫

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 自分なりの知的生産の技術を生み出し、それを実践し続けた人たちのコラム集です。この本の原稿は一般から募集されているため、大学の教授から主婦まで、それぞれ個性豊かな生産法にあふれています。

 一番印象的だったのは「盲人の場合」というタイトルの盲学校教師の方が書かれたコラム。つい最近目が見えない人が実際にパソコンを自在に操作するところを目の当たりにし非常に感銘を受けたばかりなのでよりいっそう興味深く読むことができました。

 知的生産というと、紙やパソコンを使って“なんぼ”という風潮が見受けられるので、それが使えない人は一体どうやって工夫するのだろうと疑問に思っていた部分が解消されました。

 よくよく考えていると、我がバイブルの一冊「知的生産の技術」の著者である梅棹忠夫氏も視力を失ってもなお精力的に活動されているのですから、方法はあるはずなんですよね。

 必要に迫られたときに人間の柔軟力と発想力に純粋に感動を覚えました。
 天才すぎる。

レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上   岩波文庫 青 550-1レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上 岩波文庫 青 550-1
(1954/01)
レオナルド ダ・ヴィンチ

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レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 下    岩波文庫 青 550-2レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 下  岩波文庫 青 550-2
(1958/01)
レオナルド ダ・ヴィンチ

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 ダヴィンチと言えば、彫刻から絵画までマルチな才能でしられていますが、まさかここまで天才だったとは。

 各地に散在したダヴィンチの手帳を纏め上げ、本にしたのが本書です。1ページに2〜4編ほどがつづられており、本と言うよりは一言ブログの集合体のような形式になっています。

 それが面白い&美しい文体で、飽きもせず上下巻一気に読んでしまいました。旧漢字表記なので読みづらいことこの上ないのですが、それを忘れさせるほどおもしろかったです。

 私も手帳を付けているのですが、ダヴィンチの手帳と見比べて見るとその中身の無さに凹みます。


 一つだけ気になったのは、坊主(宣教師?)と詩人に対する辛らつな態度。もしかしたら、ダヴィンチって聖書をモチーフとした作品を作ることがいやだったんじゃないかと思えるくらいこき下ろしています。まあ、聖書って絵画より遥かに人々の中に浸透した作品だったでしょうから、悔しい部分があったのかもしれませんけど。

 一ページ、この本のように文学的(科学的)な読みごたえのある文章を手帳に書こうとして、その難しさとダヴィンチの偉大さを感じました。
 訳としての“正しさ”と“おもしろさ”の違い。

ふしぎの国のアリス (集英社文庫)ふしぎの国のアリス (集英社文庫)
(1992/03)
ルイス・キャロル、北村 太郎 他

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 私は不思議の国のアリスが大好きで、様々な翻訳本を読んできましたが、この本が一番個性的でした。
 そして、多分一番翻訳として“正しい”のもこの本でしょう。

 語り部としてのルイスキャロルが上層中流階級の英語を使っていたであろう事実から、他の訳書特有の上品さを消し去り、アリスのセリフもフランク(というかざっくばらん)な口調に変更しています。

 そんな特徴的な本書を読んでいて、気がついたことが一つ。


 翻訳としての正しさと、小説としてのおもしろさは、イコールではない。


 私が今までこのアリスという小説を読んでいるとき常に頭にあったイメージは、「少女を愛してやまない男が、愛すべき少女を主人公にしたて、愛すべき少女に語った物語」というものです。

 そのイメージで読むと、本書はなんというか、その、男臭すぎるんですね。少女性を感じません。確かに、語り部がルイスキャロルという30代のおっさんですから男臭いのは当然でしょうけど、それをそのまま翻訳した本書と、あえて少女の物語として翻訳した他の本と比べてどちらが読んでいて面白いかと言えば、圧倒的に後者です。

 翻訳とは、おもしろさとは何かと考えさせられる本でした。