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書評:不思議の国のアリス(訳:北村太郎)

 訳としての“正しさ”と“おもしろさ”の違い。

ふしぎの国のアリス (集英社文庫)ふしぎの国のアリス (集英社文庫)
(1992/03)
ルイス・キャロル、北村 太郎 他

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 私は不思議の国のアリスが大好きで、様々な翻訳本を読んできましたが、この本が一番個性的でした。
 そして、多分一番翻訳として“正しい”のもこの本でしょう。

 語り部としてのルイスキャロルが上層中流階級の英語を使っていたであろう事実から、他の訳書特有の上品さを消し去り、アリスのセリフもフランク(というかざっくばらん)な口調に変更しています。

 そんな特徴的な本書を読んでいて、気がついたことが一つ。


 翻訳としての正しさと、小説としてのおもしろさは、イコールではない。


 私が今までこのアリスという小説を読んでいるとき常に頭にあったイメージは、「少女を愛してやまない男が、愛すべき少女を主人公にしたて、愛すべき少女に語った物語」というものです。

 そのイメージで読むと、本書はなんというか、その、男臭すぎるんですね。少女性を感じません。確かに、語り部がルイスキャロルという30代のおっさんですから男臭いのは当然でしょうけど、それをそのまま翻訳した本書と、あえて少女の物語として翻訳した他の本と比べてどちらが読んでいて面白いかと言えば、圧倒的に後者です。

 翻訳とは、おもしろさとは何かと考えさせられる本でした。

テーマ : ブックレビュー - ジャンル : 小説・文学

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